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そこに愛を感じるの?
朝からTVをつけてたら桜宮高校入試の話題ばかり見てしまった。数日前の「30年前のシミ」というタイトルでアップしたように、私は体育教師に対して少し大袈裟には一種のトラウマのような感覚を抱いているので、この件に関しては橋下氏をおおかた支持するものである。昨日の「男性の魅力って」に書いたように橋下氏は多分周りの人間を馬鹿ばかりと思っているようで苦手なタイプなのだけれど。

この事件に関しては、在校生までもが会見の場に出てきて驚いた。その中である女生徒は体罰をいわゆる「愛の鞭」としてありがたく?受け取っていた。男子生徒ばかりか女子生徒も体罰教師に心酔するものなんだなぁと興味深く観察した。私にはその感覚が理解できないのだけれど。たとえばDV夫を許容する妻は、殴られたときに「私が悪かったからなんだわ」と反省して、その後優しくしてくれる夫に(DV夫は大抵飴と鞭だよね)さらなる愛をかきたてられる共依存に陥っているように思う。私はよ~っぽどのことがない限り殴られたら即そこから出ていくと思うが(でも人生の中で経験がないのでどうなるか未知の世界でもある)。まあ逃げる場所がないという背景も両者に共通してあるように思う。この譬えは間違っているだろうか。

体罰らしきものが許容されるパターンとしては、たとえばストーブに手を近づけようとする幼児に「いけません!」と手をぺちとすることくらいしか思いつかない。動物の躾を例に挙げる人がいるが、私はノワを叩いてしつけるやり方は嫌いだったので、当たり前のことだけど手を上げたことはない。怒って育てるよりも褒めて育てた。そのせいで甘えたなやや我儘娘になってしまったかもしれない(苦笑)。

ただ、体罰を通じて心を通い合わせる強い信頼と絆が生まれている事例が限りなく多いことは事実である。先に書いたように、私が大嫌いだった体育教師の顧問を父のように慕いOBとして長く交流を続ける生徒もいる。それは下っ端や二軍ではなくキャプテンや主力選手に多いことに何らかの意味があるだろうか(つまり、体罰=上達という相関関係を自然に自らのうちに築き上げやすい?)。

それがほぼ体育会に限られるのは不思議なことだ。数学を愛し数学教師を深く尊敬する生徒が、

「どうしてこの問題が解けないんだ!」
「なんでこんなケアレスミスをするんだ!」


と殴られながら自分を高めていく話なんて聞いたことがない。放課後の物理クラブ(そんなのある?)で顧問が顔が腫れあがるほど部員を殴ったら普通は問題になり、親も黙っていないだろう。だが野球部で息子が殴られても許容する親はたくさんいそうだ。別に殴られて数学の問題が解けるようになるわけではないのと同じくヒットが打てるようになるわけでもないのに。体罰で精神を鍛えるという目的では一緒だろう。

この伝統は戦時中の軍国主義をソースとするという考えもある。確かに昔の戦争映画では上官にばちんばちんビンタを食わされる兵士の姿がよく出てくる。

入試うんぬんというよりも、この体罰という伝統がバスケ部、バレー部以外にもどこまで浸透していたのか、闇寮の存在とその運営方法、教師の人事等々、そして何よりもこうしたことを許容あるいは後押しすらしてきた学校関係者、当の教師、教育委員会を今後どうするつもりなのか、なかなか報道からも見えてこない。同じ大阪府下のことでもあり、とても気になる事件である。




【2013/01/22 10:05 】 | 時事社会 | コメント(0) | トラックバック(0) |
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