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隙間を満たすもの
実家の柴犬(シュン)が糖尿病にかかり毎日母がインシュリンを注射している。すっかり痩せてしまったようだ。13歳の老犬だからこの夏を越せるのかどうか心配だ。ノワも今朝はちょっと不調。いつもなら朝ご飯をすごい勢いでねだるのに、ぼそぼそと食べた後はずっと眠っている。どうということはないのだろうが、ほんのちょっとしたことが気になる。ノワも人間で言えばもう三十路なのだ。


前にも書いたと思うけど、シュンは亡くなった父が買ってきた犬である。犬好きの父が溺愛して子犬の頃から一緒に寝て育てた。他の家族は猫派だったからシュンは父が誰よりも好きだった。父が亡くなった後はほぼ1ヶ月間ほど固体物を自ら口にせず、そのまま父を追って亡くなるかと思われた。自宅での葬儀の日、しっかり縛ったはずの綱をほどいて霊柩車を追いかけたシュンであった。


その後、一人暮らしとなった母を支えたのがシュンだ。今は母べったりである。大阪に遊びに来いとか、旅行に行こうとかたまに母に声をかけるのだが、シュンが・・・と言って遠出を嫌がる。犬がいなくて身軽だったらもっと母も自由なのにと、シュンを残していった父親を勝手な人だと思うこともあった。結構大きくなった柴犬を散歩させるのも難である。散歩中に引っ張られて転び、腰を痛めて数週間歩けなくなったこともある。


でも姉に言わせるとシュンの存在は、母にとってとても大きなものらしい。今は敷地内同居で姉夫婦も近くにいるし、姉の子供3人とまたその子供(うちは早婚家庭なので母はとっくにひいおばあちゃんなのだ)も割とマメに顔を出すし、さほど淋しくは亡かろうと思うが、孤独を癒やしてくれ、ある種の生きがいとなっているのは、家族、特に離れて暮らす娘の私などよりもシュンの存在なのかもしれない。


ノワを散歩させていて、子供や女子高生なども声をかけてくれるが、一番寄ってくるのが老人である。


「うちにも犬がいてね」
「昔、犬を飼っててね」


触らせてちょうだい、としばしば頼まれる。子供がいない私は当然のこと、子供や家族がいても自分の気持ちを本当にくみ取ってくれ、自分を心から慕ってくれる(ように思う)のはペットなのかもしれない。いろんな人が、いろんな立場で孤独を抱えて生きている。人間の勝手かもしれないが、その隙間を彼らは確実に満たしてくれる。だが、この存在もそんなに遠くない将来、消えてしまう。その衝撃と寂しさを十分に知ってはいるものの、いつもペットを飼い続けてしまうのだ。




PS.
猫を飼っていたときはペットでもあるけど同居人のような気持ちがしていた。いくら甘えん坊の猫も自立心はやっぱりあって、心地良い距離感をもってつきあえる。哲学者のような瞳を持つ猫とは対等に話ができた。

でも犬は全く違う生き物だった。家の中ではいつも私のそばにいるノワは常に私をマークしている。抱きしめられたい、愛されたいという欲求を必死で抑えていて私がそれに答えて上げる時間をじっと待っている。

犬派か猫派か自分の中でも今も揺れ続けている。



【2014/04/14 09:43 】 | 家族 | コメント(0) | トラックバック(0) |
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