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早朝4時激痛にて目が覚める−−ここで前日のブログは終わったはずだ。
激痛の正体は「歯痛」であった。前にも書いたと思うが、私には奥歯に1本鬼門がある。手術までして抜歯を食い止める措置を取ったものの、進んだ歯周病は今のところ不治の病である。メンテナンスを欠かさず、気をつけているつもりが、疲れや体調不良で時に疼きだす。それもこの1年はメンテのおかげかすこぶる好調であった。 ところがだ、ヤツは私の弱みをここまで知りぬいていたか、心身ともに襲う極度の緊張による疲れからであろう。恐ろしいことにこの歯の歯茎が腫れ始めた。 時は4時、ホテルのスタッフを叩き起こすことはできない。一睡もできぬまま7時まで我慢し、フロントに飛び込んで鎮痛剤をもらった。もうプールだ何だと言っている余裕はない。バファリンを飲みベッドに伏せる。 またもや揺れるバスに乗り込み、空港に着いたのが3時。歯茎はどんどん腫れ続けている。見かねた空港職員が救護室を手配してくれようとしたが一杯で(そんなに病人が飛行機に乗るのか)、急遽事務室が救護室に代わる。と言ってもベッドなどなく深椅子に座るだけだが静かなのがありがたい。朝から飲んだ鎮痛剤8錠は全く効く気配がない。ついに大阪の行きつけの歯医者に電話した(土曜3時半)。 私「先生、我慢できません。どうしても入れていただけませんか」 D「う〜ん、3時40分なら」 私「ここは高知です」 D「ええっ・・・7時には来れますか?」 私「絶対に行きます!」 4時発高知−伊丹。歯医者には間に合うのか。いや、その前に飛行機だ。パニ発作始まる。 KYOKO搭乗口で飛行機が怖くてぼろぼろ泣く。(40女がだ) 伊丹5時前、自宅着6時、ミタは7時に病院まで迎えに行かなければならない。荷物を慌てて部屋に下ろして、だんなさん車を走らせる。6時半ミタを引き取り、車に乗せたまま、歯科医院に向かう。JUST7時。 D「ああ、急性膿瘍だ(医学的説明省略)。ゆっくり治す?痛くてもすぐに治す」 私「火曜に人と会うんです。急いでください」 D「痛いよ、でも我慢してね。」 ここからグロです、ご注意。小さな卵状に膨らんだ腫物に麻酔を(多分)数本打ちこむ。麻酔がもう痛い。そもそもその麻酔が効かない。数分待って、先生、メスらしきものを取り出す。腫物にメスがざっくり入る。血か膿か一斉に口内に吹き出す。 だんなさんは待合室で「グエ」という音を耳にし、私が吐いたかと思ったらしいが、これはえびぞった私の悲鳴だった。 お金を払って駐車場に歩くのに既にふらつき、痛みで朦朧とする。 KYOKO頬に手を押しあてぼろぼろ泣く(40女がだ)。 ロキソニン(強力鎮痛剤)を2錠飲み、1時間後やっと人間に近づき、様々な思いが渦巻いてきた。 「ホテルを勝手に選び、大枚はたき(15万は今の私たちにとって大金だ)、大抵の時間ぶーたれた顔をした女と一緒で、しかも寝てばかりいて、この旅行、最低最悪だったよね。ごめんね」とさすがに私もだんなさんに申し訳なくどん底近くまで凹んだ。 でも彼は「そんなことないよ、行ってよかったよ」と言ってくれた。 1.飛行機に乗れたじゃん。 飛行機に乗れたくらいだから、電車なんてへでもない。パニ治りつつあるよ。ま、最初から飛行機はやりすぎだったけど。 2.太平洋眺めながら良く寝たなぁ。俺、癒された(嘘ぉ!!)。 3.やっぱ家はいいよなぁって思えるし(笑)。 KYOKO優しい言葉にぼろぼろ泣く(40女がだ)。 そもそもおまえのバルサンの遅刻が・・・という言葉は胸にしまった。この旅は、もちろん最高の旅じゃなかったし、意外と最悪の旅でもなかったのかもしれない。「思い出に残る旅」のジャンルに入れておこう。(完) 追記:いまだに数時間おきにロキソニンを手放せないが、歯痛もいつかは治るだろう。ま、最悪諦めて抜いちゃえばいい。パニもいつかは私の元を去る日が来よう(というか来ることを願おう)。 |
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この「UTOCO記」はきっとコメントに困りそうなので、読み流してくれてもけっこうです〜。でも記録としてはどうしても残しておきたい願望に囚われる私はやっぱり露出狂のMか。
この日記を一体「旅日記」に入れるべきなのか、「パニック障害日記」のカテゴリに入れるべきなのかを迷いつつ、UTOCOの魅力も伝えるため、やっぱり旅に入れようと決めた。旅行はいいよやっぱり(いろんな意味で)。 私は本当にパニを甘く見ていた。(以後「パニ」を我が家での愛称「ヤツ」という」)。「高知に飛行機で行きます」と先生に行ったところ、頓服代わりの薬を多めに出してくれた。先生もちょっと楽観的じゃないか?私も不安感はありつつ電車には乗れるようになっていたので、だんなさんもいるしな〜という甘い気持ちで、今回の旅行を計画した。ヤツにつかまる前は飛行機はたぶん50回くらいは乗っていただろう。キーンという耳鳴り以外は、機内から眼下に見る街の風景は素晴らしい。雲も空も美しい。眼下に太平洋をどんなに覗きたかったことか。 まず、私たちは旅行に出かける朝をこう計画していた。 9時、家から車で数分の動物病院の開院と共に彼がミタを預けに行く(1泊延びるだけでもホテルは可哀そうだから)。車で帰って駅に向かう。私はどうしても読みたい本があったので。9時半開館の図書館に行って予約していた本を受け取る。これも歩いて数分の距離(この本は本のカテゴリで必ず紹介するつもり。衝撃の余り、旅先で読破し、薦めてくれたRちゃんに思わず電話をした)。9時40分に駅で二人で待ち合わせるというものだ。乗る電車は10時発。10時20分には伊丹に着く。11時の高知行の飛行機には十分間に合う時間だ(時間は都合上すべて適当に変えてある)。 ところが先に着いていても不思議ではない彼が45分になっても改札に来ない。元々少々イラチの私は嫌な予感がする。彼は異常なほど時間にルーズな男だ。そこが意外といいところでもあるのだが。57分になって走ってくる彼の姿が見えた。切符を渡し、階段を駆け上がり、目の前でドアが開いた電車に乗り込む。 パニ患者にとっては想像がつくだろう、最悪のパターンだ。恐怖と緊張で過呼吸が始まった。財布から薬を取り出そうとするが指が震えて止まらない。思わず座り込み、息が吸えなくなる。 微妙に通勤時間を過ぎたころだが座れる席はない。60歳程度のおばさま2人だけが「こちらへお坐りなさい」と声をかけてくれた。若い20代の女の子は、きっと私が吐くと思ったのだろう、さっとのけぞって綺麗なスカート脇に寄せた。前の30代風のサラリーマンはちらちらと私を見るが、ヤバいものを見たかのように正面からは目を合わせない。隣の10代の男の子は変わらずに携帯電話のゲームに夢中だ。 これは誰を責めているのでもない。全部発作が呼ぶ私の被害妄想だということは分かっている。それに放って何事もないようにふるまってくれることがありがたいときもある。連れのダーだっている。それ以上何をしてくれることを期待できようか。席を譲ってくれたおばあさまには心から感謝するが。そしてゼイゼイしている私を見てペースメーカーだったとは思わなかったのか若者よ、とは一言言いたいけれど。 たいていのPD患者が恐れるのは「死の恐怖」よりも「大勢の人の前で醜態をさらす」ことではないかと思う。混んだ電車の中で酔っ払いのおやじのようにゲロを吐く、あるいは倒れて駅員を呼ばれるくらいなら死んだ方がましだと思う(少なくとも私は)。ダーは「だ〜れもそんなこと気にしちゃいないよ。気分が悪いんだと思うだけ。吐きたいなら吐け」と言うが。 もう一つこわいのが、この各停を降りてしまったら、飛行機に間に合わないと思ったからだ。よくよく考えると、あと10分遅れたとしても飛行機には何とか乗れたはずなのだが。いずれにせよ、ゲートを走る気力があるのであろうか。最悪の発作を何とかおさめ、私たちはとりあえず空港の搭乗口に向かった。何が何だか恐怖でなかなか脚が進まない。電車でパニを起こした人間が飛行機にこれから乗るというのだから。ヤツはすごい。逃げれば必ず追う。ヤツと戦ってはならない。「やあ来たね」とヤツを受け入れ、過ぎ去るのをじっと待つのだ(そんな神業できるのか、マジで)。 さあKYOKO。ここから高知龍馬空港へと本当に飛び立つのか。波乱まだまだあるよ〜とじらす(続く)。 追記1:だんなさんがなぜ予想以上に遅れたかと言うと、ミタもいないし、ついでだからと寝室にバルサンを焚いてきたらしい(こらあ!!)。パニ発作を初めて目の前で見てさすがに反省したようであるし今回は許す。鍵コメさんが薦めてくださったパニック障害関連本を旅行の合間にちゃんと読んでくれた。 追記2:帰ってきたら、なぜかCさまのブログがお気に入りからも履歴からも消えている。Tigersショックで何か起こったのか?!。検索しても見つからないのでお教えください。火曜の予定は申し訳ありませんが明日携帯にてご連絡します。 |
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「ウトコディープセラピー&ホテル」
世界的なメークアップアーティスト・植村 秀氏と 室戸海洋深層水の運命的な出会いによって、 高知県室戸市に誕生したウトコ ディープシーテラピー センター&ホテル。 体温とほぼ同じ温度に保たれた室戸海洋深層水で、 心身がよみがえるスパ・プログラムとトリートメント・・・。 温暖な海洋性気候のもと、雄大な太平洋に抱かれながら、 独自の美容哲学に基づくディープシーテラピーをお楽しみいただけます。 HPまんまパクリ(笑) ああ、明日の昼過ぎには、私はここにいます。室戸の海を目の前にして。HP写真によると、部屋はこのようにテラスがついているはずです。自宅のしょぼいベランダとは天地、雲泥、言葉も思いつかぬ広々とした涼やかなテラスにて、シャンパンをあおって、いやいや海洋深層水をあおっているはずなのでございます。 ![]() 夏休みが取れると言ったので「沖縄のブセナテラスか洞爺湖ウィンザーホテルかココかを選べ」と(ああ、ミーハーと笑え)だんなさんに迫ったら、 「今遠くに行ったらKYOちゃん疲れるよ。二泊三日だし長く休みをとれたら後の2つは行こう」とここを選びました。一番安上がりなところを選んだことは一目瞭然ですが一理ないではありません。予想どおりなので文句もありません。奇跡的にぽっかり予約が取れました。 ウトコの名前の由来は、「ウトコ」の名前の由来は シュウ ウエムラ氏のウ、室戸のト、高知のコという単純なもの。シュウ ウエムラ氏は1998年に海洋深層水を使った化粧水を販売しました。海洋深層水とは、水深が200メートル以下の深海に分布する、表層とは違った物理的・化学的特徴を持つ海水のことです。つまり、深海で太陽光が届かないので、細菌が少なくミネラル分が豊富で清浄性も高いというわけです。室戸市は、海洋深層水の研究施設を日本で初めて陸上で開設した場所です。 「ハリウッドのメイクアップ・アーティストとして活躍した日本人、シュウ・ウエムラさんが昨年12月29日、肺炎のため79歳でこの世を去った。 ウエムラさんは10代の頃病気がちだったが、ヘアメイクの世界に興味を持ち、東京美容専門学校に入学。130人中、唯一の男子生徒だったという。1957年にユニバーサル映画『東京特ダネ部隊』の撮影でアシスタントを務めたことからハリウッドの映画製作に触れ、その後、マリリン・モンローやフランク・シナトラ、ルシル・ボールなどのスターたちのメイクを手がけるようになる。 1962年、『青い目の蝶々さん』で主演のシャーリー・マクレーンを見事に芸者に仕立て、フランク・シナトラ主演の“None But the Brave”でもメイクアップ・アーティストを務め、絶賛された。」 「バラエティ・ジャパン」より 美容院に行って、ウトコの話をしたら「シュウウエムラさんのホテルだよね、2,3年前に亡くなったよね。おじいちゃんだけど本当に死ぬまで新しい挑戦を続けるすごい人だ」みたいに、さすが美容家だけに彼の半生を知っていました。 その彼が、2006年の7月にオープンしたのがこのホテルです。オーナーのウエムラ氏の意向で、オープン当初はテラピストやシェフを除き、スタッフに未経験者を募ったそうです。 蘊蓄はさておき、さてどんなホテルなのか楽しみになってきました。ま、セラピーを受けたあと、おいしい魚でも食べて、鳴門の海を目の前に眠れるだけで疲れ玉が吹き飛ぶのではないかと期待しています。さすが海っ子、海育ち。 来週は楽しい旅行記が書けたらいいなぁ(実は飛行機がちょっと怖い)。 |












