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波乱の幕開け
2016年がもう15日も過ぎてしまいました。衝撃です。

ありがたいことに仕事は上場の滑り出しです。十日戎で家内安全&商売繁盛を祈願し、笹を買ってきたご利益でしょうか。2500円というまあまあのお値段なので、いつも少し躊躇するのですが、この習慣だけは辞められません。


2016十日戎



今年も始まったばかりなのにいろんな出来事が起こっています。世界株安、中東不安、北朝鮮水爆実験と、日本も世界も波乱の1年になりそうです。芸能界では、SMAP解散はさておき(日本国中に激震って本当?)、ベッキー不倫騒動はちょっとした驚きでした。そう、けっこうミーハーです。「ゲスの極み乙女」を知らなかった夫にPVを見せて教えてあげました。私の周りでもこちらのニュースの方が話題になっています。


人間はどうしても自分の立ち位置に左右されます。既婚女性である私は必然的に新婚の奥さんに同情的になります。友達も既婚者が多いため、ほぼ嫁の味方で、ベッキー&ゲス乙女ボーカルに厳しい意見を多く聞きます。人間も動物ですから自分の縄張りを侵す危険に対してはガルルルと牙を剥くのが本能です。逆に、障害があればあるほど燃え上がってしまう恋心というのもまた分からぬではありません。憑き物が落ちてしまうまでのことですけれど、それが恋の醍醐味なのでしょう。

芸能界のご意見番、デヴィ夫人は「私はベッキーさんの味方」と語っています。

ベッキーさん、私はあなたの味方。 こうなった以上、堂々と純愛を貫きなさい! 軽率だった 川谷さん、責任を感じてサッサと “卒論”を出し、「愛の勝利」 を遂げて下さい!お2人にとっては これからが正念場。堂々と 晴れて 結ばれるお二人の姿を 願っています!


これは壮大な褒め殺しのような皮肉であるのか、純粋な応援なのか、判然としないものの、私もある意味ではデヴィ夫人に同感です。ベッキーは噂では数億の年収があるとのこと。違約金もこれからの芸能活動も何のその、折角の会見の場、(比喩的に)土下座クラスの思いっきりの謝罪をした後、


「1億でも2億でも払います!だから私にケンちゃんをください!」


と女の覚悟を見せてやればよかったのに、と他人事ながら思いました。(実際払えるのですから)好きな男のためなら金も命も捨てようぞ--お正月ですので、それくらいの大舞台を見せて欲しかったものです。これぞ一世一代の芸の見せ場ではありませんか。相手のゲスさんはそこまでの器量がなさそうですね。

これから続く新年会の格好のネタになりそうな予感です(笑)。


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【2016/01/15 11:16 】 | 時事社会 | コメント(0) | トラックバック(0) |
祝ノーベル賞
大村智氏「寄生虫による感染症の治療法に関する発見」の医学生理学賞に続いて、梶田隆章氏「素粒子ニュートリノの研究」が物理学賞を授与された。二日続いての快挙だ。大村氏のときは久しぶりに駅で号外を手にした。

いつも思うのだが、ノーベル賞をもらうほどの人物になると、その業績は言うまでもなく人間性が素晴らしい。いや、別に彼らを詳しく知っているわけではないので、家や職場では横暴であったり、うじうじとした腹黒い人間であったりするのかもしれないが、報道を見るかぎり、その欠片も出てこない(当たり前か)。社交的で弁舌豊かというタイプは少ないが、応援したくなる持って生まれた「人たらし」の才能がある。(私はずっと昔から理系の男性が好きなので評価が甘い)

大村氏の名言。「科学者は人のためにやらなければダメなんだ。人のためにやるということが大事。」

でも、天才科学者はいるにせよ、孤高の科学者がこのような脚光を浴びるのは不可能だろう。若いときは師から可愛がられ、引き上げられ、それ以降は彼らの手足となり共に協力してくれるパトロンや仲間たちがいなければこのような研究は続けられなかったことと思う。少なくとも、「内助の功」でずっと支えてあげたいと伴侶に思わせられる魅力があるのだろう。

梶田氏についてはまだあまり報道を見ていないが、大村氏という人は、メルクとの共同研究を可能にしたビジネスセンスもすごいし、美術やスポーツへの造詣も深い。どれだけスーパーな人間なんだ。何かを成し遂げる一角の人物は、凡人とは異なる恐るべき体力/気力を備えているといつも思っている。もしくは、たとえ身体は病弱であっても、それを補う精神のパワーがある。


「やったことは大体失敗する。うまくいかなかったり。そのうち5、6、7回やってるうち、びっくりするくらいうまくいく。それを味わうと失敗が怖くなくなる。それが研究の楽しさ。失敗したから良かった。それが必ず役に立つ」


これもいい言葉。こんなに立派な人だって、成功よりも失敗がずっと多い。月とすっぽんだけど、私もそう実感する。先日、あるセミナーに出かけて、「翻訳のスピードが遅い」という悩みに対して回答するというコーナーがあった。量をこなすうちにスピードは必ずアップするという回答が寄せられた。何事も一朝一夕に向上することはなく、毎日毎日の積み重ねが知らず知らずのうちに自分の中に蓄積されていくのである。スポーツしかり、趣味しかり、ダイエットしかり、健康しかり、美容しかりetc。

何ヶ月か何年か経って、あれ、変わってる♫ できてる♫ と気がつく。根気の要る話だ。でも、即効性という言葉に飛びつかないように自分を戒めたい。


【2015/10/07 11:16 】 | 時事社会 | コメント(0) | トラックバック(0) |
TPOというもの
このところずっと取り組んでいるのがある医療機器の翻訳。「機械」のはずで回ってくるのに中身は「バイオ」というパターンが非常に多い。この案件もその一つで、詳細は省くが生体細胞を活用した機器である。実験のプロトコルや細胞の顕微鏡写真もふんだんに出てきて門外漢の私には辛いが、同時に面白さも感じる。今後もこういった分野は産業界の中心となってどんどん発展していくだろう。

だから、研究の末端の欠片のような部分に携わっていると言えないでもなく、現在のSTAP細胞騒ぎも興味深く見守っている。ポスドクの英語論文の翻訳や校正などはけっこう英語畑の人が本業や副業で関わっているような気もする。



さて、STAPおよびその論文の真偽などは、それを語る知識もなく立場でもないので意見を言うのはやめておく。でも、いち一般人としては、O嬢が初めてマスコミに登場したとき(広報や広告代理店等がお膳立てした部分が多かろう)、今更言うのも何だが疑問を感じるところがたくさんあった。ヴィヴィアンなど人の趣味はそれぞれなので、嗜好にケチを付けるつもりは全くないけれど、STAPの紹介の際に出てきたあの格好は、あとの騒ぎに少なからずの影響を与えたと思う。


TPOとは侮れないもので、人の第1印象は大きなインパクトを維持する。ある機関の代表、しかもノーベル賞を得られるかもしれないという世界的大発見を世間に伝える場で盛った髪型とメイク、ひらひらのヴィヴィアンは、え?こんな可愛い女の子が?というpositiveな印象よりも、アシスタントじゃなくてあなたがその研究を?というややnegativeな印象を与えたように思う。あくまでも個人的印象だが。一種のショーなのであろうが、そのメイクで顕微鏡を覗くに至っては、ラメやパウダーがプレートに散っちゃうんじゃないかとハラハラした。彼女が最初から、TPOをわきまえた知的かつ清潔感をにじませるような、研究者然とした装いで現れていたら少しは潮目が変わる箇所があったかもしれない。


譬えはよくないけれど、ああいう学会関連の場に通訳で出席することになったらどうであろう。もの凄く服装に気を遣うはずだ。芸術家や特定のフリーランス以外の社会人であれば誰もが、仕事と格好とが直接的にも間接的にも密接なつながりを持つことは心得ているだろう。そこをあえてあのような「盛った」装いで現れたことに、彼女自身そして周囲のどういった意図および背景があったのだろうかとその辺が気になったりしている。ついでに、好きな格好で仕事ができる環境に慣れきった今の自分もきちんとTPOを見直さねばという自戒を込めて。


あの場所にO嬢ではなく、今時のイケメンO君がギャルソン辺りの小洒落た格好でピアスと共に現れたらどうだったであろうか。素敵理系王子!と一気に脚光を浴びたであろうか。そんなことはまずあり得ないところが男女間格差の一つなのかもしれない。


今日も私はこれから骨芽細胞に取り組みます・・・。


【2014/03/17 10:16 】 | 時事社会 | コメント(0) | トラックバック(0) |
そこに愛を感じるの?
朝からTVをつけてたら桜宮高校入試の話題ばかり見てしまった。数日前の「30年前のシミ」というタイトルでアップしたように、私は体育教師に対して少し大袈裟には一種のトラウマのような感覚を抱いているので、この件に関しては橋下氏をおおかた支持するものである。昨日の「男性の魅力って」に書いたように橋下氏は多分周りの人間を馬鹿ばかりと思っているようで苦手なタイプなのだけれど。

この事件に関しては、在校生までもが会見の場に出てきて驚いた。その中である女生徒は体罰をいわゆる「愛の鞭」としてありがたく?受け取っていた。男子生徒ばかりか女子生徒も体罰教師に心酔するものなんだなぁと興味深く観察した。私にはその感覚が理解できないのだけれど。たとえばDV夫を許容する妻は、殴られたときに「私が悪かったからなんだわ」と反省して、その後優しくしてくれる夫に(DV夫は大抵飴と鞭だよね)さらなる愛をかきたてられる共依存に陥っているように思う。私はよ~っぽどのことがない限り殴られたら即そこから出ていくと思うが(でも人生の中で経験がないのでどうなるか未知の世界でもある)。まあ逃げる場所がないという背景も両者に共通してあるように思う。この譬えは間違っているだろうか。

体罰らしきものが許容されるパターンとしては、たとえばストーブに手を近づけようとする幼児に「いけません!」と手をぺちとすることくらいしか思いつかない。動物の躾を例に挙げる人がいるが、私はノワを叩いてしつけるやり方は嫌いだったので、当たり前のことだけど手を上げたことはない。怒って育てるよりも褒めて育てた。そのせいで甘えたなやや我儘娘になってしまったかもしれない(苦笑)。

ただ、体罰を通じて心を通い合わせる強い信頼と絆が生まれている事例が限りなく多いことは事実である。先に書いたように、私が大嫌いだった体育教師の顧問を父のように慕いOBとして長く交流を続ける生徒もいる。それは下っ端や二軍ではなくキャプテンや主力選手に多いことに何らかの意味があるだろうか(つまり、体罰=上達という相関関係を自然に自らのうちに築き上げやすい?)。

それがほぼ体育会に限られるのは不思議なことだ。数学を愛し数学教師を深く尊敬する生徒が、

「どうしてこの問題が解けないんだ!」
「なんでこんなケアレスミスをするんだ!」


と殴られながら自分を高めていく話なんて聞いたことがない。放課後の物理クラブ(そんなのある?)で顧問が顔が腫れあがるほど部員を殴ったら普通は問題になり、親も黙っていないだろう。だが野球部で息子が殴られても許容する親はたくさんいそうだ。別に殴られて数学の問題が解けるようになるわけではないのと同じくヒットが打てるようになるわけでもないのに。体罰で精神を鍛えるという目的では一緒だろう。

この伝統は戦時中の軍国主義をソースとするという考えもある。確かに昔の戦争映画では上官にばちんばちんビンタを食わされる兵士の姿がよく出てくる。

入試うんぬんというよりも、この体罰という伝統がバスケ部、バレー部以外にもどこまで浸透していたのか、闇寮の存在とその運営方法、教師の人事等々、そして何よりもこうしたことを許容あるいは後押しすらしてきた学校関係者、当の教師、教育委員会を今後どうするつもりなのか、なかなか報道からも見えてこない。同じ大阪府下のことでもあり、とても気になる事件である。




【2013/01/22 10:05 】 | 時事社会 | コメント(0) | トラックバック(0) |
30年前のシミ
nobaraさんのところから訪問してくださった方々にはすみません。翻訳のお仕事の話については、なかなか自分の意見が上手くまとまらないので、もう少し時間の余裕があるときにアップしますね(汗)。試行錯誤の連続で、その時々で自分の意見も変わってしまうので書けないかもしれません・・・。nobaraさん、私も優柔不断で日和見なんですよー。



さて本題。桜宮高校バスケ部の最近の報道を読んだり見たりしていて、中高時代の体育会系部活のことを思い出しました。実は私が所属していた部も顧問の先生が体育教師だったんですよね。

今までの学生生活の中で、運がよいのか悪いのかよく分かりませんが、特段嫌いな先生もいない代わりに、特段大きな影響を受けた恩師と言えるような先生もいなかったというのが感想です。人間的に立派だと尊敬していた先生や、女子高生として憧れていた先生はおりますが。でも唯一、本当に嫌いだったのは件の体育教師S先生です。

彼は人が体育教師といって想像するようないわゆるステレオタイプの体育教師で、威圧的な熱血型教師でありました。さすがに女子に手をあげることはありませんでしたが、後ろから何度ボールをぶつけられて痣になったことか。ある意味、素手よりも痛いです。

私はスポーツ自体は大好きで、部員仲間とも仲良く、そこそこ楽しく部活動を続けていました。でも、ONE FOR ALL, ALL FOR ONEの精神(この精神自体はとても大事です)で一致団結し一つに燃え上がる「ルーキーズ」風な体育会系ノリには相入れず(ほら、実は文学少女だから(笑))、The 体育会系の先生とは最後まで通じ合うことのない部活生活を過ごしました。昔はデータよりも「水は飲むな」式の非論理的な練習方法がまかり通っていたんですよねぇ。一方でS先生に心酔し可愛がってもらうメンバーも多数存在しました。
(注:もちろん団体スポーツの苦しい練習や様々な人間関係を通じて、大きな感動と喜びを得られた場面もたくさんあったし、楽しい思い出もあります)。


ある日、部室に呼ばれたところ、いきなりS教師は私の髪を引っ張り、

「色気づいて、この髪は何だ!」

と半分にやつきながらライターを私の髪に近づけました。当時は聖子ちゃんカットが大ブームで私も例にもれずクルクルドライヤーを使ってレイヤードヘアをしていたんですね。本当に燃やされるんじゃないかと恐怖におののいたのを今でも鮮やかに覚えています。

きっとボールをぶつけたことも指導の一環で、先生にとっては単なる日常の一コマにすぎず、ライターで髪を燃やすなんてことはするつもりもなく、脅かし半分冗談半分だったと思います。そのころの初心(笑)な私はプルプル怯えて立っているだけでした。彼に言わせると、何もかもが私の大嫌いな言葉「愛のムチ」なのでしょう。残念ながら私は愛なんて一度も感じたことはなかったですけど。



    ★    ★    ★



それからほぼ30年後の数年前、過去の部員を百人以上集めた「S先生を囲む会」が開催されました。S先生にお会いしたい気持ちは全くありませんでしたが、久しぶりに学友に会えることを楽しみに参加を決めました。その場でS先生がこう爆弾発言をしたのです。


「つい先日、癌の宣告を受けました。近く手術を受ける予定です。最後に皆さんにお会いしたかった」

癌になったことは可哀想です。人生をかけたであろう教え子たちに会いたいという気持ちも分かります。しかし、この場で皆の前でそれを発表したことにすら、私は一種の違和感を感じずにはいられませんでした。


その数ヶ月後、先生が亡くなったことを先生と親しくお付き合いを続けていたキャプテンからのメールで知らされました。そのとき、私の心はびくとも動きませんでした。私って結構執念深くて依怙地なんだなと「人としてどうよ」と我ながら悲しくなりました。


30年も前のこと。だけど、少女の頃の心に残った憎しみという黒いシミはなかなかきれいに消えないものです。薄くはなっても白に戻ることはないでしょう。

先生は私のことなど全く覚えていないようでしたが、

「先生、よくなってくださいね、手術の成功を祈っています」

と言ってあげたらよかったのでしょうか。なぜかそんなことを桜宮高校の報道を見ながら考えています。




【2013/01/16 09:12 】 | 時事社会 | コメント(4) | トラックバック(0) |
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